スワミ:イエス キリストは、私が経験したように、多くの困難を経験しました。最終的に、イエスは非常に困難な死を遂げ、身体的に十字架に磔(はりつけ)にされました。私はこの世のすべての罪を自らのものとして負い、私自身を内側で十字架に磔にしました。

イエスの死は公衆の面前で、私の死は非公開の内に行われました。イエスはすべての人類の痛みと苦しみを自分自身で負い、イエスの身体は苦しみ、その身体が衰えて朽ち果ててなくなるのを許しました。その後イエスは再び以前と同じように、同じ慈悲と愛の化身になるために、再度立ち上がりました。あなたはイエスを見逃せません;イエスの愛と慈悲によって、すぐさま、イエス本人を確認することができます。それがまさにイエスが象徴したものです。イエスの弟子たちのように、今まで以上に勇気を持ちなさい。ペトロのように、自分自身の命のために、最後の瞬間にイエスを見捨て、逃げ出した人たちは、彼らの師が普通の人ではないことを知り、全員が再びキリストに復帰しました。それは、彼らの師のメッセージが確実に広まるように、彼ら自身を犠牲にする勇気を与えました。あなた方は皆、そのようになるべきです;自分の師のために進んで自分自身を犠牲にする意思を持つべきです。それが、あなた方が 「私たちは、主の御前に私たちの命を捧げます」 という時、その意味することです。私はあなた方の命をどうするのでしょうか?私からあなたの命を受取り、すべての人々のために使いなさい。

最期の日(肉体)に、病院で医者たちはすべてを試しました。彼らは私にあらゆる種類の注射をし、あらゆる治療を行いました。医学ができることはすべて行われました。彼らは私の身体にあらゆることを試み、健康な身体に回復させようと試みましたが、そのようなことは起こりませんでした。スリーニヴァスは復活祭の朝の間ずっと私の病室にいました。彼はそこに立っていて、ほんの少しの間、部屋には他の人は誰もいませんでした。彼は私のところに来て私の足をつかみ、ハートの奥底から祈り、彼にできることはこれ以上なく、人類と医療専門家が可能なことはすべて試されたことを説明しました。彼は祈りました。 「今、スワミ、あなたのみが、何かして頂かなければなりません」 彼が祈りを終える間もなく、彼は私が肉体を去ったことを見ました。モニターが無音になったのです。彼は大変なショックを受け、赤ん坊のように私の足元で泣き叫びました。彼は私が行ってしまうのが耐えられませんでした。しかし、スワミはどこに行ったのでしょうか? イエスの足元で泣いていた聖母マリアのように、彼はそこで泣きながら言いました。「なぜ、去ってしまうのですか?」 実際、私は誰のもとからも去るつもりはありませんでした。すべてがドラマでした。私はこの現在の方法で私の使命を遂行できるように、それは起きなければなりませんでした。今日、私の使命、私の言葉、私のメッセージは、イエスが行ったように、非常に早く世界中に広がっています。それはどのように起こっているのでしょうか?私の帰依者の犠牲により、起こっているのです。イエスの信者は、イエスの御言葉を広めるために、自らを犠牲にし、そしてその御言葉は世界中に行き渡りました。同様に、今日私の帰依者は、皆それぞれのやり方で犠牲を払い、中には快適さを犠牲にする人々、富を犠牲にする人々、そして多大な努力を行い、自分たちができると思っていた以上のことを成し遂げる人々もいます。これが私の使命が広がる方法です。

C. スリーニヴァス: 私は、スワミがそのことを覚えておられてとても感動しました。

Rev.レオノーラ:あなたがイースター(イエスの復活祭)の日曜日に去ったことは非常に重要なことです。

スワミ:私は、イースター(イエスの復活祭)の日曜日に戻ってきました。私は、イースターの日曜日に去っただけでなく、同じ日に戻って来たのです。私の身体が衰えたために私は去りましたが、私は戻ったのです。魂は続きます。私は世界中を巡り、意気消沈している私の帰依者を慰めました。彼らの多くが人生を諦めたがっていたため、私は彼らの自宅に行き、彼らに伝えなければなりませんでした。「そのようなことをしてはなりません。私はまだここにいます。私はどこにも行きません。」

 

*この御講話を全て読むには(英語)⇒A Divine Easter, Divine Visit to the United Kingdom 28 March to 1 April 2018.

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