どこであっても、自然はただ、与えて、与えて、そして与え、- 受け取りません。空気は、皆さんの呼吸に対し請求しません。川は、皆さんが飲んでも請求しません。太陽はその光に対し請求しません。木々は、皆さんにその果実の請求しません。どこでも、何にでも、お金を請求するのは人間だけです。自然は無料です! 神は、「私に10ユーロを渡しなさい。そうすれば、10分間息を吸うことができます」 とは言いませんでした。(笑)

 

母親は、けっして自分の愛に値段を付けることはしません。母親は自分の子供に、「私があなたの世話をしているのだから、この奉仕に対して、あなたは私に支払わなければなりません!」 と言うでしょうか? 看護師は請求するかもしれません。ayah(乳母)は請求するかもしれません。女中は請求するかもしれません。育児介助人は請求するかもしれません – しかし、母親は、看護師、乳母、女中、育児介助人の仕事すべてをすることに対して – 子供に必要とされるすべてに対して、請求をすることはありません。彼女は教師であり、女中であり、料理人であり、看護師であり、子供にとってのすべてですが、それに対し何も請求しません。愛のあるところに、お金の請求はありません。

 

恐れを持たずに与えなさい。そうすれば、神が皆さんの世話をします。皆さんの手が空のときのみに、神はそれにさらに多くのものを置き、ふたたび満たすことができます。お金と血液の両方は常に流れるべきです – それらは淀むべきではありません – さもないと、病気の原因となるでしょう。水も同じです。それが流れていれば、清らかであり、皆さんはそれを飲むことができます。それが溜まっていれば、汚染され、多くの蚊、昆虫と細菌が入ります。皆さんが神から得るものが、社会を通して神に返されるとき、すべての人々が健康になります。これが、どれだけ社会へ還元するかを測る方法です。昔、人々は、「神よ、どうか私と私の家族を食べさせるのに充分なものをお与えください。私は、助けを求めて私の家の玄関に来た人を追い返すことはしません」 と祈ったものです。これが善い帰依者、善き与える人の性質です。

 

愛は、与え、許すことによって生きます。皆さんの支援に対して、他の人々が気付き、礼を言い、感謝し、もしくは皆さんを称賛するかどうかは、問題ではありません。皆さんはするべきことをしなければなりません。多くの人々は、寄付をするとき、自分が与えたことを十人の人が知るべきだと望みます。右手が与えるとき、左手は知るべきではありません。沈黙の中、ひそかに与えられるべきです。これが、皆さんが謙虚のままでいることができる方法です – さもなければ、他の人々が皆さんを称賛するとき、皆さんのエゴは膨らむでしょう。そのとき、与えることの全目的が失われます。

 

*この御講話を全て読むには(英語)⇒ Divine Satsang – München, Germany,8–9 April, 2017

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