(祭壇のバガヴァンの大きな写真について話し)あれは、ただの写真ではありません。皆さんが写真を見るとき、それは写真のままです。それがスワミであると信じるのであれば、それはスワミとなります。その写真もスワミですが、皆さんは 「スワミは、写真だけではない」 と考えなくてはなりません。

かつて、スワミ・ヴィヴェーカナンダはある王と会いました。その王は、ヴィヴェーカナンダが像や写真を礼拝していることを受け入れることが出来ませんでした。王は彼に言いました。「神は名前や形を持っていないが、あなたはなぜ像や写真を礼拝できるのですか?どのように神が肖像画の中に存在すると言えるのですか?」

この議論は、王の宮廷で行われていました。スワミ・ヴィヴェーカナンダは辺りを見渡し、王の父親の肖像を見つけ、そしてその肖像のところへ行き唾をかけました。王は激怒して言いました。「よくも私の父に唾をかけてくれたな!」 ヴィヴェーカナンダは、「あれは、あなたの父親ではなく、単なる絵画です。あなたの父上は既に亡くなられており、かなりの時が経っています。」 と言いました。そして、王は肖像画もまた彼の父親であることを理解したのでした。

 

このように、皆さんは信じるべきです。写真の中にスワミがいることを信じるのであれば、皆さんも写真の中のスワミを体験するでしょう。全ては、自分が何を信じるかによるのです。人は、石が神になれると信じることが出来ますが、神を信じない人にとり、石はただの石のままです。自分が信じるものが、自分が体験することを決定します。信仰心を育みなさい。信仰が鍵です。

サティヤ・サイババ

 

*この御講話を全て読むには(英語)⇒ 2016年6月 カナダ・米国ご訪問の報告

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